※本記事は、過去の体験をもとに、現在あらためて整理した記録です。
36歳、再出発のスタート地点
2013年11月、36歳のときに現職へ就職しました。
貯蓄は100万円に満たず、実家暮らし。車もありません。
そこに至るまでに色々あり、この時点での自分は
「将来をどうするか」を考える以前に、
まず生活を立て直すことで精一杯の状態でした。
資産形成や投資という言葉は、
頭の中にほとんど存在していなかったと思います。
月手取り17万円、銀座支店での営業職
最初の配属先は銀座支店。営業職でした。
月収の手取りは、おおよそ17万円程度。
生活はできる。
ただ、余裕があるとは言えない水準です。
当時は「今をちゃんと回すこと」が最優先で、
貯蓄計画やお金の管理を真剣に考える余地はありませんでした。
異動しても変わらなかった生活
2014年12月、営業職から広告宣伝担当に異動しました。
手取り自体はほぼ変わりません。
ただ、営業時代にあったインセンティブがなくなった分、
実質的な収入はむしろ減ったと言えます。
それでも生活は変わりませんでした。
外食、飲み、付き合い。
営業部時代のノリを引きずり、
入ってきたお金はきれいに使い切る。
今振り返れば、かなり生活は乱れていたと思います。
総務部異動、そして赤字が日常になる
2016年6月からは、親会社の総務部へ異動しました。
月給は変わらず。
一方で、営業部時代からの人間関係もあり、
交流や親睦の機会はむしろ増えていきました。
当然、支出は安定して多い。
時には赤字になる月もあり、
そのたびに、わずかな貯金を切り崩す生活です。
当時の自分は、
「お金を管理する」という意識そのものが、ほとんどありませんでした。
メンタルが削られると、お金は守れない
この時期、職場にハラスメント気質の上司が現れます。
仕事そのものよりも、
人間関係で心がすり減っていく感覚。
今思えば、
メンタルが不安定な状態では、
冷静なお金の判断などできるはずがありません。
転職しなかった理由と、「耐える」という選択
ハラスメントがあった時期、
「なぜ転職しなかったのか」と聞かれることがあります。
正直に言えば、
当時の自分には転職する余力がありませんでした。
生活はぎりぎりで、
環境を変えるリスクを取るほどの余裕もない。
それに何より、
「自分は悪いことをしていないのに、なぜ辞めなければならないのか」
という感情が強くありました。
今振り返れば、
少し逆切れに近い気持ちだったかもしれません。
ただ当時の自分にとっては、
「耐えること」「長く続けること」が、
現実的な作戦だったのも事実です。
結果的に、その上司はほどなくして退職しました。
こちらが何かをしたわけではなく、
流れが、勝手に変わっただけでした。
「耐える」という判断の、もう一つの側面
今振り返ると、
問題はハラスメント上司だけではありませんでした。
冷静に見れば、
収入は高くなく、
生活が楽になる兆しも見えにくい職場だったと思います。
「このまま続けていて大丈夫なのか」
そう感じる場面も、何度もありました。
それでも当時は、
その職場を「悪い環境だ」と整理する余裕すらなかった。
生活はぎりぎりで、
転職によって一時的にでも収入が不安定になることが、
怖かったのだと思います。
だから選んだのは、
前向きな忍耐というより、
消去法に近い「続ける」という選択でした。
今だから言えること
もちろん、
すべての人に「耐えるべきだ」と言うつもりはありません。
環境を変えた方がいい場合もあるし、
離れることが正解の場面もあります。
ただ自分の場合は、
長く続けたことで流れが変わり、
その時間が、
一つの記憶と経験、そして実績として残りました。
それは結果論であり、
誰にでも当てはまる話ではありません。
ただ、
当時の自分に別の選択を求めるのも、
少し酷だったとも感じています。
判断材料も、余力も、
圧倒的に足りなかったからです。
今振り返って思うこと
この時期の自分は、
「資産形成ができていなかった」のではなく、
資産形成以前の問題を抱えていたのだと思います。
- 収入の問題ではない
- 知識の問題でもない
- 生活習慣と心の状態の問題だった
この土台が整っていなければ、
どんな節約も、どんな投資も、続かなかったはずです。
次の転換点へ
この状況が大きく変わるのは、
2019年、市営住宅への入居と、家族との同居がきっかけでした。
お金との向き合い方が、
初めて「自分自身の問題」になった瞬間です。